山中シェフ
海外で働く

フランスの厨房で学んだ、料理技術より大切なこと。

高校3年生の秋、警察官試験に落ちた青森出身の青年が、3年後には周囲の反対をよそにフランスに渡り、星付きレストランで活躍する。日本で学んだフランス語が通用しないなか、実践した学習法や、価値観を変えたフランス人シェフとの出来事とは。

インタビュー動画はこちら▶︎https://youtu.be/Wbt0YHZI_eM

【シェフプロフィール】山中 幸夫 シェフ
青森県六戸町出身。料理歴47年。ラマンディエドムージャン、グレイ ダルビオン、ラタントクレールといったフランスやスイス、ロンドンの複数の星付き店で海外修行。その後国内の有名フランス料理店のシェフを歴任し、フリーランスとして独立。

「山中シェフ」から学ぶ海外で料理人として働くためのポイント

POINT

  • 「行きたい」と口に出し続ける 
  • 外国語を学ぶためにまずは「疑問文」を覚える
  • 技術よりコミュニケーションを優先する

渡仏のため「行きたい」と口に出し続ける

──フランスへの渡航機会はどうやって引き寄せましたか。

1980年代は西洋料理といえばフランス料理を指すことが多い時代で、自然とフランス料理への興味がわきました。フランスに行きたいという気持ちを、周囲に話し続けていました。当時は求人サイトも海外エージェントもない時代です。

言い続けていると、フランスに行って帰ってきた知人から「フランスで日本人を探しているところがある」という話が来て、すぐに返事をして渡仏を決めました。話し続けることで、縁が向こうからやってきたんです。

──渡航前、周囲の反応はどうでしたか。

料理技術も3年ほど、フランス語も話せない弱冠20歳の挑戦です。周囲からは時期尚早、無謀、無理と諭されました。

しかし、不安は全くなく期待しかありませんでした。一度火がついたら止まらなかったんです。

今思えば、少年時代にインターポールを夢見ていたころから、根っこに「海外に行きたい」という思いがあったのかもしれません。

貯金は航空券+α

──渡航前の資金と準備を教えてください。

会社員時代の稼ぎと、退職後の新聞配達・建築現場の肉体労働で数十万円を貯めました。片道航空券が当時25万円ほどしたので、全然余裕はありませんでした。

ただ、受け入れ先のレストランで「食」と「住」は確保できることが分かっていたので、それほど心配はしていませんでした。ビザは観光ビザで入国していました(※現在は就労ビザ・ワーキングホリデービザが必要です)。

──現地の給料と生活は?

給料は月1000フラン程度、当時の日本円にして約5万円でした。住居と食事は提供されていたので、休みの日の食事代さえあれば生活できました。

受け入れ先はニエーヴル県の家族経営レストランで、納屋を改造した部屋で、若手スタッフyとの共同生活が始まりました。

休日は本屋で料理本やカクテルの本を買って、一本一本材料を揃えて毎日カクテルを研究したり、ドイツからフランス人に帰化したシェフにキノコ狩りや狩猟に連れて行ってもらったり。

毎日が新しいことでいっぱいで、日本食が恋しいとか、ホームシックとか、そういう感覚は全くありませんでした。

まずは「疑問文」を覚える

──はじめはどうやってコミュニケーションを取ったのですか?

フランス語の「疑問文」を積極的に覚えるようにしました。「これはなんて言うんですか」「これはどうやって使うんですか」といった疑問文のセンテンスをたくさん書き出して、それを見ながら質問し続けるんです。

そうすると、周りが一生懸命教えてくれるようになって、コミュニケーションをどんどん重ねることができるようになりました。

──語学はいつから通じるようになりましたか?

オーナーから「3ヶ月経ったら急に喋れるようになるから心配するな」と言われていたのですが、本当にその通りでした。

最初は「音」としか聞こえなかった言葉が、次第に頭の中でアルファベットに変換されるようになって、すると辞書が引きやすくなり、自分で勉強できるようになっていきました。

コミュニケーションは技術と同じくらい重要

──フランスの厨房でカルチャーショックはありましたか?

自分より若いフランス人シェフたちからぞんざいな態度で指示されることがあって、最初は腹が立ちましたよ。

でも仕事終わりには必ず「握手して笑顔で挨拶してくるんです。彼らは言うべきことは言うし腹に溜める事もしない。

極めて合理的なヨーロッパ的考えで、このことは本当に強烈に印象に残っています。

日本人が海外に行く際、コミュニケーションは料理技術と同じくらい重要だと思います。

フランスで日本人シェフに何人か会いましたが、すごく料理ができる人でも、コミュニケーションができないとどうしても日本人同士で固まり、殻に閉じこもってしまいがちになります。

フランス語のジョークをジョークと受け取れず、「俺のことを馬鹿にしているのか」となってしまう人もいて、その方は2ヶ月程度で辞めてしまいました。

技術があってもコミュニケーションが取れなければ孤立してしまうというのが現実でした。

──フランスの後も、複数の国で働いています。その際もコミュニケーションを意識していましたか。

帰国後は赤坂の「レストラン・シド」で腕を磨きました。その後、スイスのホテルやレストランで働くことになります。

標高3500mのレストランで、スイス人シェフとダブルシェフという形で務めました。

スタッフにはポルトガル語しか話さないポルトガル人がいたので、仕方なくポルトガル語フランス語の辞典を買って、片言でしたが話しかけてみました。「ジャポネ!」と大喜びされて、休日のパーティーに呼んでもらい仲間に加えてもらえました。

言葉が通じた先に心が通じる。どこの国でも同じだと思います。スイスでの契約終わってからは、英国のフランス人シェフのレストランで働きました。

行きたいと思う時が、行き時

──今、渡航を悩んでいるシェフへ一言お願いします。

現在、技術だけで見れば日本国内でもフランス料理を学べるかもしれません。ただ、現地に行くからこそ感じることが必ずあります。

風土や歴史、食材を直に見て聞いて食す事で、日本では得られない収穫が必ずあります。いろいろ不安なことはあると思いますが、行きたいと思う時に行動するのが一番です。

準備が完璧になってから行こうとすると、中々難しいものです。観光ビザ1枚・言葉ゼロ・貯金数十万円でも、住み込みで食事が出るならそれで十分だと思いましたし、期待しかありませんでした。行ってみないと分からないことが、必ずあります。

執筆 Dining Trends編集部

料理人の毎日に効く知識と、次の一歩を後押しするコンテンツを届ける編集チームです。調理道具のリアルなレビュー、厨房で役立つ技術や用語、海外挑戦や独立のヒントまで、現場目線でわかりやすく執筆。プロにも料理好きにもわかりやすい記事づくりを大切にしています。

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